その感情の名前を知ってしまったら、もう後戻りは出来ない。







「どうしたの?賢ちゃん?」
「え・・・?ああ、何でもないよ」
 ぼうっとしていた顔を下からのぞき込まれて、曖昧な表情のまま笑ってみせる。何より自分のことを見抜くのが鋭いこのパートナーは、それだけで「何でもなくない」ということには気づいていただろうけど。
 それでも、それ以上は詮索してこないのは、賢が聞かれたくないのだという気持ちまで察してくれていたせいだろう。
 そんな心優しい気遣いにも、感謝をしつつ。
 賢は再び、いま自分を悩ませている人物のことを思い出していた。


 自らの心の弱さから、デジモンカイザーとなり多くのもの傷つけていたのはつい先日の出来事。その闇からの呪縛を振り切って、その反動で昏睡して数日。ようやく目を覚ました賢は、現実世界へ帰ってから、自宅で療養というかたちで学校を休んでいた。
 周りの者全てを遠ざけるように、友達すら持とうとはしなかった賢に、見舞いに来る級友は居ない。
 静かな時間と、たまの母からかけられる言葉。
 寂しくはなかった。傍らにはいつもワームモンが居たから。
 自らの愚かな行為によって、永遠に失われたと思っていた大切なパートナーと、再び出会う「チャンス」をはじまりの街で与えられ。
 もう二度とは失うまいと抱きしめた賢の腕に、そっと応えてくれたワームモン。
 そのワームモンと一緒だったから、寂しいと思うことは全然なかった。
 ただ、考えるのはある人のこと。

(本宮・・・)

 闇にとらわれていた自分を助けようと、必死に手をさしのべてくれた人。優しい目で、自分を見つめてくれた。ワームモンを助けながら、2人で自分を救い出そうとしてくれた――。
 自分の正気を取り戻したとき、最初に気がついたこと。
 彼への、想い。
 そして自分がカイザーであるときに行った数々の仕打ちを思い、胸が痛くなる。
 彼は――本宮大輔は、どれほど苦しんだのだろうか。
 記憶の中に残る、彼の顔。カイザーと対峙した時の彼は、痛みを堪えるような辛そうな顔をいつもしていた。
 デジモンカイザーの正体を知ったときの表情が。
 目に焼き付いて、離れない。

(僕は・・・どこへ、行けばいい・・・?)

 帰れと言った大輔。自分は、意識の片隅にその言葉を聞きつつ、この現実世界に帰ってきた。
 けれど、まだ心は宙ぶらりんのところを彷徨い続けている。

(僕は、どうすればいい?)

 答えは出ない―――。








 数日して賢は再び、デジタルワールドへ行き来するようになっていた。それは自分があの世界に残してきた「傷跡」を修復するため。

 ダークタワー。

 それは闇への起点にもなり、基点ともなる、暗黒の柱。
 世界を狂わすという力を秘めたそれは、今の賢には仕組みを思い出すことは出来なかったが、けれどひとつだけはっきりとわかることがあった。
(これは「危険」だ・・・残しては、いけない)
 一つ残らず破壊すること。
 それが賢の目的であった。


「スティングモン、今日はこの辺で帰ろう」
 暗くなり始めた遠くの空を見上げながら、傍らのパートナーにそれを促す。帰りが遅くなれば、母親が心配するだろうから。
 デジタルワールドのことは、両親ともに話すつもりはなかった。
 どちらかといえば、話せなかった、ということの方が正しいかもしれない。あまりに突拍子もない出来事だし――あんな騒ぎの直後に、突然そんな話を持ちかけたらきっとまた自分がおかしくなったと、母は慌てふためくと予測もできたし。
 それに、賢自身もまだ気持ちの整理がついたわけではない。
 いままで行ってきた自分の過ち。それを実際口に出すと言うことはとても痛みを伴うものだったから。
 そんな痛い顔をしたまま語れば、あの両親は泣いてくれるだろうということもわかっていたから。
(だからまだ・・・)
 笑顔でワームモンのことを紹介できるようになった頃に。そのときこそは、全てを話そう。と、思ったのだ。
「賢ちゃん」
 いつの間にかワームモンへと進化を解いて、自分を見上げていた瞳に気づく。きっと、泣きそうな顔にでも見えたのだろう。
 別に、そんな気ではなかったのに。
 気遣うようにこちらを見ているワームモンに、微笑みかけて。
「大丈夫だって。心配性だな、ワームモンは」
 僕はからかうようにワームモンのおでこを、指先で軽く撥ねた。彼はそれをくすぐったそうに受け入れていたのだが。
「・・・けど、賢ちゃん。賢ちゃんはまだ、自分のこと責めてるでしょ?」
「・・・・・・ううん」
 答えは、すこし遅れた。即答できなかったことは、それを肯定しているように思えたけど。
「だってそれじゃあ、なんでみんなに距離を置くの?どうして、選ばれし子供の仲間にならないの?」
「うん・・・それは、さ」
 自分の冒した罪は認めようと思った。その気持ちは嘘ではない。
 けれど、その償いのためとか言って、彼らの仲間に収まるのは何か違う気がしただけだ。
 運命に従って、あたえられた「名称」に収まるのではなく、こんどこそ自分で「自分のすべきこと」を見出したい。それが結果、大輔たちの仲間になるという答えに行き着くとしても、賢は自分でその答えを出したかったのだ。
「ごめん、ワームモン。ワガママ、だけど・・・もう少し、時間が欲しいんだ」
 賢の言葉に、ワームモンは黙ったまま俯いていたが。それだけで彼が了解してくれたことは伝わってきた。
 本当に優しい、哀しいくらい優しいパートナーに賢は目を伏せつつ、心の中でお礼を言ったのだった。





 ありがとうワームモン。
 ・・・けど、自分はずるい人間なんだ。
 答えを先延ばしにしてるのは、逃げなのかもしれない。



 本宮の辛そうな顔を、もう見たくはなかったから―――。






 けれど、賢の願いは空しく。強引に会いに来た大輔によって、2人はまた相見えることになるのだ。






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