どうして――彼が、此処に居るんだ!?


 困惑する感情をどうにか押さえながら、賢は目の前にある状況を理解しようと、目をさらに大きく見開いた。
 見直したところでそれは変わることなく。
 彼の前にたたずむ人物は夕日に背を焦がしながら日焼けた頬をにっこりと笑顔に染めて名を呼んだ。

「一条寺」――と。






 デジタルワールドを元に戻す。

 目的は一緒でも、一度は敵同士だった彼らと手を組む気にもなれず。おそらく、その気持ちは彼らの方とて同じコトだと、賢は思っていた。
 だからこそデジタルワールドで姿を見かけたときも、応戦中の彼らに助太刀したときも・・・言葉は交わすことなく、足早に場を後にしたのだが。
 まさか彼の方からコンタクトをとってくるなんて、思いも寄らなくて。
 そう考えて初めて、賢は自分が意識的に相手を避けていたのだということに気がついた。

「話したいことがあってさ・・・」

 歯切れの悪いしゃべり方は、彼らしくもなく緊張している証拠。
 賢は大輔のそんな様子をじっと見守っていた。
 いや、見守る、とういうよりは呆然と立ちつくしていたという方が的確な表現だろう。彼を前にして、何を言ったらいいのか。言いたいことはたくさんあったはずなのに、実際に直面してみれば声のひとつも出はしない。
 唯一の救いは、大輔が明るい表情で会いに来てくれたことだろうか。
 対峙していた頃とは違う、普通の小学生らしい彼の笑顔に、賢は少しだけ肩の力を抜くことが出来た。
 そうして、とりあえずと大輔の用件を聞こうと促したのだが。

「みんなに・・・謝って欲しいんだ」

 大輔の用件はこうだった。
 最初はその「みんな」というのがどんな範囲のことなのか読めなかったけれど、慌てて補足された彼の説明でそれがデジタルワールド全体と、彼の仲間の「選ばれし子供たち」だということがわかった。
 けれど。

「うん、わかった」
「え!いいのか!?」

 ぱっと顔を上げて目を輝かせた彼に、賢はしっかりと頷き返す。
 ・・・しかしその心の内は晴れやかとは言えなかった。

「良かったぁ・・・機会はこっちで用意するからさ」

 本当にほっとしたように、大輔が笑う。
 彼が本気で心配してくれていることが分かり、賢はいたたまれない気分になってくる。どんなに彼が心配してくれても、賢の犯したことは消えないのだから。
 癒されない傷を、必死で癒そうとしている彼の姿を見るのが辛くて、賢は顔をそむける。

「けど・・・謝って、許されるのだろうか」

(許される筈がない。だって、僕のしたことは・・・)

 それがわかってて、疑問を投げかけてしまうのは己の弱さに他ならなかったが。
 まだ、「許し」を求めているのだろうか。
 消えることのない咎を負う覚悟はしたと思っていたのだけれど―――。

「すぐには無理かもしれないけれど・・・きっと、みんな分かってくれると思う」

(そんな都合のいいこと―――)

 楽観としかいまは思えない、ありきたりな慰めの言葉に笑い出したい気分にもなるが、大輔の言葉は彼の本心からのものだった。
 見返した彼の瞳は強い輝きを湛えたままで。
 薄い群青を混ぜ始めた西の空に、その姿はとても映えて見える。

(何故だろうな)

 いつも意志の強い彼のそんな顔を見ていると、希望がもてる気がしてくる。無理だということも、もしかしたら・・・なんて気にさせられる。
 そんなことを思ってしまう自分もまた、楽観的思考の持ち主なのだろうか。

「そうかな・・・?」

 現実はもっと厳しいものだと、頭では理解していても、賢はその言葉が欲しくて尋ねてしまう。
 彼はきっとその言葉をくれる、と知っていたから。
 そしてそれはその通りで・・・。

「そうさ!」

 力強く、支えてくれる言葉に。
 賢は久しぶりに素直に笑える気がした。

(ありがとう)

 以前も、今も。
 変わることなく、自分へとそそがれる大輔の優しさが。
 ポケットの中で暖かい存在感を教えてくれる、優しさの紋章の感触。
 優しさの紋章は自分のものだとなったけれど、賢にはわかっていた。大輔が居たからこそこの紋章は力を取り戻すことが出来たのだと。そして、彼が居なければあれだけの奇跡を起こすこともできなかった。
 そんな全ての力が、いまの賢を支えているのだ。
 そしていまもまた、大輔の笑顔が彼を後押ししてくれる。

(ありがとう・・・本宮・・・)

 そっと気づかれないように呟いて、賢は顔を上げた。大輔の眩しいくらいの笑顔をもっと見ていたくて。
 河原に吹き抜ける風が、彼らの間を通り抜けていき、火照った賢の頬を気持ちよく冷やしていってくれた。
 大輔もまた風が冷たいと感じたらしく「うひゃ」と目を細めてジャケットの端をたぐり寄せる。
 風が彼の服や髪を撫でていき・・・。
 一瞬、露わになった大輔のうなじが賢の目に飛び込んできた。

(・・・・・・っ!!)

 瞬間。
 フラッシュバックするように浮かび上がってきた光景に、ぐらりと視界が揺れる。
 白い、首。
 大輔の細いそれに無惨に残された赤い痣のことを。
 覚えている、それをつけたの自分だと。

「一条寺・・・?」

 黙り込んでしまった賢に、大輔は怪訝そうな顔を向けていたが。
 賢はそれどころではなかった。
 一気に思い出される、あのときの記憶。

(あのとき・・・僕は)

 みんなと同じく、「天才」としての自分しか大輔が見ていないと、そう思った賢は感情の爆発に任せて彼の首に手を掛けていた。
 大輔の頬が赤黒く染まる様を見ながら・・・。

(僕は・・・喜んで、いた・・・)

 憎しみだけで、湧いた殺意ではなく。
 あの瞬間抱いていた気持ちが、いま賢が彼へと向ける焦がれる気持ちと同質のものであると気がついた瞬間。

 ぞくり――と背筋が沫たった。

「安心しろよ、大丈夫だからさ」

 黙ったままの賢を、大輔はみんなに分かってもらうことへの不安と思ったのか、励ますように声を掛ける。びしっと胸の前へ指を立ててガッツポーズを決めている彼は賢のいまの葛藤なんて知る由もなく。

「だって俺たち同じ選ばれしこどもの・・・仲間だろっ?」

(だめだっ!)

 このまま行けば、きっとまた彼を傷つける。

 振り切るように頭を振った賢は、出来る限り抑えた声でそれを言い放った。
 これ以上、近づくことはならない。
 一歩も進むことを許さない、凛とした声で。

「そのことは、受け入れられないな」
「え・・・」

 ふっと顔を上げた大輔に、自分の表情が分からないように目を伏せたまま。

「僕は、君たちの仲間にはなれない」

 きっぱりと、絶縁状をたたきつける。

 そしてきびすを返し歩き出した賢に――、
 大輔からの声は、ついに掛けられることはなかった。





 それ以上、近づいては駄目。
 この気持ちが触れてしまうから。
 この感情を自覚したいま、このわからない気持ちに。


 ―――君に、何をするか、僕にはわからない。






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