大切なものがある。 手の届く範囲なら、それを守りたい。 大輔が何かを思い悩んでいることは、選ばれし子供たちの全員が薄々と感じていた。それぞれにその理解の度合いはまちまちではあったのだが。 たとえばタケルなどは、その原因がかのデジモンカイザー・・・いや、いまでは一条寺賢か・・・が原因であるところまで知っていた。 (僕が何を言ったって、解決することじゃないと思っていたんだけどね) 個人的で介入すべきではない領域。だと思ったからこそ、タケルはただ傍観者を甘んじていたのだが。 (だいたい、僕が言えば大輔君のことだもの。絶対強く反発するのは目に見えてたんだ) ふぅ、と溜息をひとつ。 その溜息が前を歩く大輔に気づかれなかったかとそっと伺ってみたが、大輔のほうは大輔で、なにやら重そうな溜息を深々ついているところだった。 疲れたような、横顔。 (やっぱり・・・全然休まった様子なし、か) 作業を始めた時間からずっと睡眠をとっていたはずの大輔の顔は、けれどまったく寝不足が解消された風でもなく、あいかわらず目の下には黒ずんだ隈が見て取れる。 指摘すれば絶対彼のこと、平気そうに明るく笑顔を浮かべるのだろう。だから仲間達の誰も、尋ねることは出来なかった。 ただ疲れていることだけは見るも明らかで、京たちの入れ知恵でブイモンに大輔を休ませるようにと仕向けたのだ。 (それも無駄だったみたいだけど) それもそのはず。 あの魘されようでは。 「はぁ」 今度は、さっきよりはっきりと、タケルは溜息を零していた。 木陰で横になる大輔の様子をのぞき込んだとき、彼は何か嫌な夢でも見ていたのだろう。額にうっすらと汗を浮かべながら小さく呻いていた。 言葉の内容は聞き取れなかったが、タケルには予想が出来る。 一条寺の、ことだ。 まったくどこまで人を苦しめればいいのだろう。デジタルワールドに生きるものたち、戦うべくして呼ばれた選ばれし子供、家族・・・。様々な人々を巻き込んで、カイザーの残していった傷は深く大きい。 そして闇の呪縛を振り切った今もなお、大輔の心を傷つけている―――。 思わずブイモンと一緒に慌てて揺すり起こしてしまったが、大輔の身体に余計疲労が溜まっていたのは見て取れた。だからとっさに嘘をついて今日は家に帰すことにしたのだった。 理由づけなんて、あとでいくらでも京たちと口裏を合わせればいい。 とにかくこのままでは大輔は参ってしまいかねないのだ。 (これ以上は、僕たちとしても見過ごせないよ?) これ以上、大切な仲間を傷つけるなら。 たとえこの先共に戦うはずの相手でも・・・ (容赦は、しない) 物騒な光を瞳に浮かべながら、タケルは心中でそう呟いた。 風がまた強く、彼の髪を撫で上げていく。 ここはいつ来ても強い風が吹いているようで。タケルはその風にトレードマークの帽子をさらわれないように、そっと上から押さえた。 帽子のせいで一瞬狭まった視界の端に、地面をこする音を微かにさせてやってきた誰かの靴をとらえる。 別段それを不思議ともせず、タケルは顔を上げた。 何も動じる必要もないことだ。彼自身が、ここへ呼びだした相手なのだから。 視線をあげると戸惑ったような、それでいて何かを脅えるような複雑な顔とぶつかった。まるで自分を恐れているような・・・いや、実際そうなのだろう・・・彼の表情に、タケルは小さく苦笑を漏らした。 一条寺賢という人物・・・彼の中に巣くう闇を憎むあまり、その身に手をあげたことは記憶に真新しい。そのときのことを彼自身覚えているのだろう。あるいは、本能的恐怖か。 引きそうになる腰を必死にとどめて、賢が口を開いた。 「・・・呼び出して、何の用だ?」 「それは君が一番わかってるんじゃない?」 賢のDターミナルにメールを入れてこの場所へ呼び出したのはタケルだった。絶対進んでコンタクトを取るはずはないと思っていた相手からの呼び出し状に、戸惑いが隠せない。 「覚えは・・・ない」 「そんなはずない」 間髪入れず返される言葉にびくりと肩をすくめる。まるで用意された答え以外を許さないような、きつい問いかけ。 (わからないはずはないんだよ、一条寺。だって君はもう気づいてるはず・・・) 視線をそらせもせず、タケルの瞳に囚われたまま賢は沸き上がる感情に嫌悪を覚えていた。 大輔のことを想う気持ち。けれどそれは同時に残酷なまでの衝動を伴って現れる。 誰にもわかりはしない。自分にしか、この感覚は・・・。 「大輔君のこと」 「っ!!」 目を見開いてタケルを睨み付けると、口の端に冷ややかな笑みを湛えた少年の目とぶつかった。その冷たさに一瞬飲み込まれそうな錯覚をうけながら、けれど賢は否定するように首を振る。 「違う。本宮は・・・僕に近づくべきではないんだ」 「どうしてそう思うの?」 だって。 さらに反論しようと口を開きかけたところをタケルに一瞥で制され。 日が、西の端に沈もうとしていた。 吹き抜ける風はさらに冷たさを増して、2人の体を容赦なく冷やしていく。この河川敷はいつだってそうだということを、地元人の賢は知っていた。 「大輔君ね。この間、あのあとどれくらい、ここに居たと思う?」 タケルの言うこの間という言葉に、賢はすぐ心当たりがあった。先日大輔と最後にあったのはこの場所・・・この、河川敷でのことだったのだから。 「日が暮れて、今よりもっと寒くなって。それでも、じっと此処に立ったまま君が去った方を見つめていたよ」 「見て・・・たのか」 覗かれていたということに対する非難を含んだ声音に、タケルは僅かに笑みを深めて「もちろん」と頷く。 「だって、いくら闇を打ち払った場面を見たからと言って、そう簡単に君のこと、信用できるはずないでしょ?大輔君はあの通りだから・・・心配で、ね」 なんせ彼は僕等の愛すべきリーダーなんだから。 そう冗談混じりに呟く彼の目はやはり笑ってはいなかった。 「それに・・・」 この上何を言おうというんだ? 少々苛立たしげに聞いていた賢だったが、次の瞬間タケルの言葉に全身が強張る。 「闇に一度囚われた者は・・・ずっと闇を見ることになる」 闇。 それが何を示すか、賢はすでに知っていた。 そしてそれがもたらすであろう、最悪の結末も。 「君が何を恐れてるのかは知らない」 タケルの言葉が遠く聞こえる。 わんわんと耳の奥で鳴っている耳障りな音が、自分の鼓動の音であることにも気づけないまま、賢は自らの中にある黒いものを感じ取っていた。 「けれど、迷いがあればそれはまた闇に囚われるきっかけに繋がる。自分を強く保つ自身がないのなら・・・もう、近づかないで」 誰に、とは彼は言わなかったが、それが大輔のことを指しているだろうことはわかった。賢自身も、そのつもりで居たのだから。 (これ以上本宮に近づけば僕は・・・彼をも、僕の闇へ引き込んでしまう) 光の下で輝くあの瞳に曇りを落とすのは、自分の存在。 衝動的な独占欲で、彼を自らの手に伏せようとしたあの時から、賢にはわかっていたのだ。 (きっとこのままではいつか、本当に) 殺してしまう。 彼の首を絞めたときに自分の中で渦巻いた感情は・・・敵である人間を排除するためではなく、彼の全てを、自分の思い通りにしようという願望。 その心の中の微かな願いを、闇は見逃さなかった。 膨らんだ想いはどす黒い流れとなって彼を動かし、そしてその手がかけられた―――。 (いやだ!!) 真っ白な首に赤黒く浮き上がる指の跡。 健康そうな肌の色が次第に色を失って黒く変色していく様を無感動に見つめながら、心の奥底では歓喜を止められない自分が居た。 このまま呼吸が止まれば、どこへ行くこともない。 望まない言葉をその唇が放つことも。落胆して蔑む目が自分を映す日も。 彼の時が止まれば、それは永遠に訪れないことで。 その甘美な誘惑に、賢は次第に指の力を強めていった。 あと少し。 ほんの少しの時間で、それは現実になるはずだった。 (あのとき彼の声が僕を止めてなければ) 遠くから響いてきた、タケルの声。それはそれほど大きな声ではなかったけれど、衝動に駆られた賢の心を冷ますには十分で。 すぐさま、手は離れていた。 人を殺そうとした恐怖に混乱し、その場は考えることも放棄して逃げ帰って。 全ては悪夢のようだった。 その感情を闇の力のせいと決めつけて。 否定しようと思っていたのに。 思い出してしまったのだ。あの時と同じ気持ちを、またもう一度感じてしまった。 そして自分の中に未だその危険な衝動が潜んでいた事実に一時は愕然とし、そして――― これ以上、大輔に近づくことを自らに禁じた。 「一条寺、君は、その前に全てのけじめを付けなければいけない。このままじゃあ・・・全ては、中途半端なままだ」 タケルの言葉に賢は静かに頷いた。 ケリをつけなければならない。 大輔の気持ちに、賢自身からの答えを。 (結局また甘えていたんだ・・・自分が、本宮に決着をつけてしまうことを、怖がっていただけだったんだ) 返さなければならない。 大輔は全てを語ってくれた。 それこそ、行動の全てをもって、賢に示してくれていたのに。 「全ての決着は、自分でつける・・・」 呟いた賢に、タケルが初めて目を弛めて。 「今日、君に会ってよかった。その強い瞳を見ていると、僕も少しだけ、君のこと信じられる気がする」 掛けられた優しい言葉に、賢は一瞬目を見張り、そして次の瞬間には賢もまた笑っていた。 絶対うち解ける日なんてこないって思っていたタケルと自分の間にあった溝。それが少しだけ狭まったということに驚き、そして嬉しかった。 いつかはみんなも。 そう言った大輔の言葉が、いまなら心から信じることが出来る。 彼のことを信じれるということが、何よりも賢の心を温かくしてくれた。 次に会ったとき、大輔に全部を話そう。 たとえ、それで軽蔑されたって。二度と、あの瞳が自分の方を向かなくたって。 次に会ったときに、必ず。 そう思っていた翌日。 機会は思いがけず、突然に訪れるものだ。 デジタルワールドで復旧作業をしていた選ばれし子供たちのメンバーが、ダークタワーの変化したデジモンに襲撃をうけ、苦戦している。 その知らせをメールで受け取った賢はすぐさま家に駆け戻り、待っていたパートナーデジモンのワームモンと、デジタルゲートをくぐった。 彼らを襲っていたのは、巨体を堅い甲良で覆った完全体デジモンで、まだ進化のぎこちない子供たちは苦戦を強いられていた。 駆けつけた賢がすぐに進化したスティングモンで加勢に入り、敵の侵攻をくい止める。自分たちの背後に広がるデジモン達の町・・・そこには、なんとしても踏み入らせないようにしなければならない。 必死の様子で戦う子供達の中で、賢はちらりと大輔の方を伺い見た。 久しぶりに見る、大輔の姿。 すこし動きが鈍く見えるのは、気のせいだろうか。 そのすこし向こう側からは、タケルが、大輔の姿を視界からはずさないよう、戦っているのが見えた。 そして他の誰も、大輔を気遣うように移動していることに、ようやく賢も気がつく。 (大輔になにか・・・?) ふと予感を覚えて、賢もまた大輔の方に近づこうとした、その時だった。 「グガァァァっ」 「危ないっ!!」 降ってきた声に振り向いた賢の視界に、敵デジモンの砕いた岩の破片が飛び込んでくる。まっすぐ自分に向かってくる物体に瞬間体が反応しなくて。 どん、と背中を突き飛ばされた衝撃に賢の体は後ろへ傾ぐ。 その頬を軽くかすめて岩は飛び抜けていったが、その崩れたバランスは修正できず、賢の体はそのまま背後へ傾いていく。 そして運悪くそこは高い段差になっていて・・・。 「――――――!!」 誰かが叫ぶ声が聞こえた気がしたけれど。 ふわりと重力を失う感覚に、賢はついにその声が誰の者であるか、知ることも出来ず身を崖へと落としていった。 back◆next |