「一条寺・・・一条寺・・・っ!」 (んん・・・・・・誰だよ・・・?) 耳の凄く遠いところから呼びかけられるような気がして、賢は顔をすこししかめ(本人はそうしたつもりだった)ながら目頭にぎゅっと力を込める。 まるで、朝方思いもよらない早い時間に起こされたときの様な、不快な虚脱感が全身を覆っていた。 頭が重い。 それが覚醒の一歩手前なのだと、賢は自覚する。 目覚め・・・いままで、気を失っていた―――? (痛・・・・・・っ!) 感覚が一気に取り戻されると同時に、いままで伝達されなかった端々の痛みが感じられるようになり、その痛みに賢はぱっちりと目を開けた。 ひんやりとした空気が流れる薄暗い場所。 彼が目を開けて最初の認識は、こんな感じだ。 そこは複雑な形に岩が入り組んでいて、上を見上げても賢が落ちてきた場所を見ることは出来ない。下は降り積もった木の葉が腐葉土を成していて、その為に賢は落ちても無事だっのだろう。 まぁ、あちこち痛むのだから一概に無事とも言えないが。 (それにしても・・・よく、岩にぶつからなかったな) せり出している岩肌は少し見上げるだけでもいたる所にその手を伸ばしている。落下中、岩の一つにでもぶつかっていればただでは済まなかっただろうに・・・。 「一条寺ぃ―・・・いーちーじょーじーっ!!」 「・・・ぅわあ!!?」 「わぁっ!?」 耳元で突然大声を出されて、たったいままで自分のこんなに近くに誰かが居ることにすら気づいていなかった賢が驚いて飛び上がる。どうもその声には相手もびっくりした様子で、重なるように向こうもまた小さく飛び退いた。 「・・・・・・・・・本宮?」 その姿を認識して、賢の顔はますます驚きに染まる。同時に、戸惑う。 どうしてここに大輔がいるのか。 そもそも、賢は戦っていたあの場所から、崖に落ちたのではなかったのか。 「ああ、びっくりした。まったく、お前全然気づいてくんないんだもん。頭とかぶつけて変になったかと思って、心配したじゃん」 ずらずらと賢の混乱などお構いなしで喋り続けている姿をしげしげと観察しながら。 (やっぱり・・・本宮だ) それが幻とかじゃ無いことを認識する。 (・・・・・・って!) そして次の瞬間一気にそれがはっきりとした事実として流れ込んできた。つまり、大輔がここにいるということは。 「君っ・・・!落ちたのか、僕と一緒に!!?」 「あははーお互いヘマしたよなー」 笑い事じゃないっっ!! 悲鳴のような言葉を寸でで飲み込む。 からりと笑う大輔とは裏腹に、賢はそれどころでは無かった。一緒に落ちたというのだから、大輔もどこか怪我をしているのではないだろうか。 急いで賢は、彼の体にどこか怪我でもないかと見回して、そして表だったところにとくに外傷と言えそうな傷が無いことに、とりあえず胸をなで下ろす。 そうしているうちにも、自らへの怒りがこみ上げてきた。 (「お互い」??そんなわけあるか、アレは完全に僕の不注意だ!!) たとえ気を取られていたのが大輔が原因だったとしても、それは賢が勝手にしていたこと。戦いのさなか、ちょっとの油断がどれほど危険と隣り合わせか、わかっていたはずなのに。 それが自分一人の結果になるならまだしも、他人を巻き込んだとなればますます始末に悪かった。 「ゴメン・・・僕のせいだ」 「一条寺のせいじゃないさ」 気休めに言った言葉か、と思い大輔の顔を見上げると。どうもそうとは言い切れないような、沈んだ面もちの彼と目がぶつかる。 そういえば、賢が気を取られたのも、いつもと違い元気の無かった彼の様子を不審に思ってのことだった。 「俺が一番近くに居たのにさ、ちゃんと、安全な方に避ければよかったのに、よく見ないで行動しちまった」 それを聞いて、賢はようやく、岩から自分を助けてくれたのは飛び込んできた大輔だったことに気がつく。 賢に向けて飛んでくる岩を、なんとか助けようと飛び込んできて、賢を突き飛ばし。そして自分も飛んだその先が、運悪く崖の上だったわけだ。 「それこそ本宮のせいじゃない。僕が最初から、呆っとしてなければ良かったことなんだから」 「うん・・・でも、ごめんな」 どうどう巡りになりそうだった謝りあいに、大輔の元気の無い声が一旦の終止符を打ち、再び沈黙が下りる。 賢は今のこの状況より、大輔のらしくない態度の方が気になり始めていた。けれど、的確にそれを言い表す言葉が見つからず、尋ねる糸口を見つけられない。 「とりあえずそれとして。一条寺、怪我とかは無いか?」 言いよどんでいると、また声を掛けたのは大輔の方からだった。完璧に出遅れた形になって、賢は視線を気まずげに逸らしながら、一応という感じで質問の答えだけを口にする。 「たぶん、左足。すこし挫いてる」 「えっっ大丈夫かよ!?」 唾を飛ばしそうな勢いで迫る大輔に、軽い頷きで返して・・・けれど実際は歩くには多少不自由なくらいの状態で賢は途方に暮れていた。 この2人だけで、しかもパートナーデジモンとはぐれた状況。そして、怪我人を抱えて。 まったく最悪の事態だと言えよう。 「まぁ、ここでじっとしていれば、場所は上から落ちただけだ。スティングモンたちがきっと助けに来てくれる」 ・・・上での戦いが、無事に終われば。 口にはしなかった不安。だけれど、大輔にもわかっていたらしい。ゆっくりと首を左右に振りながら揺れる二つの目がしっかりと賢を見据えて。 「それじゃ、ダメだ。早く上に戻らないと・・・みんながどうなったかも気になるし」 確かにそうだろう。 今日戦っていた敵は大輔たちでも苦戦していた。だから、賢が援軍として駆けつけることになったのだ。それなのに、その戦力2人がここで足止めを食らうとなると――。 「一条寺は、ここで待ってろ」 「え・・・っ?」 上から掛けられた言葉に我に返る。爪が食い込んだらしい自分の手は、血が止まって白くなりかけていて・・・自分でも知らないうちにかなり力を入れて手を握り込んでいたようだ。 見ると、大輔が立ち上がり賢を置いて上への道を探しに行こうとしていて・・・。 「待・・・っ、本宮、待てよ!」 慌てて声を掛ける。 むやみやたらにデジタルワールドを無防備のまま歩き回るのは、危険だ。なかにはダークタワーの影響をうけてなくても人に害なすデジモンは多くいるのだから。 このまま行かせてはならないと、慌てて身を乗り出して。賢は精一杯伸ばした手で大輔の腕を捕まえた。 「・・・・・・っ」 と、思いがけず抵抗を受けるだろうと思っていた大輔の体は、いとも簡単に後ろへ引き戻され、賢はバランスを崩して倒れてきた大輔の下敷きになる。 ぶつかった拍子で打ち身になっていた場所が鈍く痛みを訴えた。 「・・・・・・本宮・・・っ?」 慌てて起きあがろうと上に被さる大輔を押そうとした賢が、その手をぎくりと強張らせて自分の触れた指先を確かめるように凝視した。 ひやり。 触れた場所のあまりの冷たさに、震える。 触れているのは、大輔の手。けれど、そこが今は信じられないくらい冷たくなっているのだ。 思い返してみれば、今日大輔の顔色が良くないと気にしたのは自分だった。そして、心配しているような仲間達の視線・・・。 改めて見てみれば先刻より数段色を無くした大輔の横顔が飛び込んでくる。 「本宮っ・・・キミ、どうしてこんな・・・っ!?」 こんな状態で、どうして戦っていられたのか。 そして今もなお仲間の援護へ向かおうと立ち上がろうとするのか。 賢に抱き込まれた腕の中で力無く藻掻く大輔の体をいっそう強く抱きしめて。賢は叫んでいた。 「だめだ、じっとしてろよ!キミ、とてもそんなんで動けないだろう!?」 押さえ込んでいる内に大輔は何度かその手をはずそうと力を込めたが。いくら相手が怪我人とはいえ、弱っている様子の大輔では分が悪かった。 諦めてぱたりと手を落としたかと思うと、今度はキッとまっすぐな目が向けられてきて。 「放せ、一条寺」 揺るがない、言葉。 「ダメだよ」 けれど賢も引かない。 「はーなーせーっ」 「ふりほどく元気もないくせに、何言ってんのさ」 本格的に大輔の体を自分の膝の上に座らせる形にしてその上からぎゅっと腕を回して。完全に動きを封じられた大輔はやがておとなしくなった。 「・・・・・・こんなことしてる場合じゃねーのに」 ぶぅと文句をたれる大輔に、賢は戒めるように「安静にしてるんだ」と言い放って、後ろから回していた片方の手を彼の額に持っていった。 他と変わらず低い体温に、眉をひそめる。 すぐに賢の手が持っていた温もりも冷えた体温に持っていかれ、温かくなくなってしまう。その手をもうひとつのまだ温かい方と取り替えて。 「どうして、こんな無理してまでこっちに来たんだ?」 大輔に尋ねる。 こんな無理をすれば他のメンバーがどれだけ心配するか。それが結果、足を引っ張ることになるか大輔とてわからなくは無いはず。 よもや体調の不良がばれないとも思ってはいまい。 「具合が悪くて、それで何かあったときにどれほど危険かわかってるだろう」 言いながら賢は彼の体調不良の原因は追及しなかった。 わかっていたからだ。 (これは僕のせいだから) この体温の下がりよう・・・きっと、ずいぶんまともに眠ってなかったのだろう。人間は、睡眠をとらなければ確実に弱る。 彼をこれほど追い込んだのは、賢の責任だ。 大輔のことを傷つけまいとしてとった行動は、結局結果として彼の心を傷つけ続けただけだった。そして今、これほどまで哀しそうな顔をさせて。 大輔が辛そうな顔をしているのは、賢が迷ったせい。 その迷いから逃げたせいで、その間に大輔がずっとこうやって辛いのを耐え続けていたのだと、気づかされた。 (ずっと・・・たぶん、もっと前から) この間の河原での会話からではなく、もっと以前から。きっと、大輔はこうして我慢してきたのだろう。 あの、カイザーとして選ばれし子供たちの前に対峙するたびに見た、泣きそうな揺れる瞳が、それを示していた。 「・・・・・・ごめん」 ぽつりとついて出た謝罪の言葉に、大輔は「え?」と目を丸くして見上げてくる。それを優しく見つめ返しながら、賢はそっと大輔の体を強く抱きしめた。 ずっと。泣かせてゴメン。 囁いた言葉は、大輔に届いただろうか。 「キミを傷つけるんじゃないかって・・・そんな自分が怖かった。この胸の奥にある気持ちに、気づいて怖かったんだ」 たとえば側にいて。 足りなくなって「これ以上」を求めて。 それが結果大輔を傷つけることになったら・・・。 「もうキミが泣いているところを見たくはなかった。だから距離を置こうとした・・・」 結局は同じように大輔を悲しませただけだったけれど。 「一条寺・・・・・・」 「結局は傷つけるしかなくて・・・だったら最初から―――」 それならば。 最初から、2人の気持ちは同じ。 もうお互い思いを殺すのをやめよう、と。 (思いは、近くに在りたいと願っていたのだから) 「初めからこう言えば良かった・・・本当に、ごめん」 最後にもう一度だけ謝って賢はそっと腕を放した。 大輔には今の言葉でわかったはず。賢が、近づこうと、歩み寄ろうと、自らの気持ちを決めたことを。 そうしてふわりと触れた大輔の髪を掻き上げながら、その瞳を痛々しげに細める。 「――――カイザーの呪縛から自分を取り戻して、そして後悔した。キミにとてもひどいことをしたこと」 つぅ・・・と白いうなじに指先を滑らす。 そこには以前につけた痕など残っているはずもなかったが、恐る恐る触れた賢の手をそっと大輔の指が包み込んだ。 「違う」 逃げそうになった賢の手を力強く握り返して。 大輔は「逃げんなよ」と向き直って賢の顔が見えるように座り直し、視線を同じ高さへとそろえる。 「一条寺は、あの時の自分が怖いんだろ?けど、違う。逃げちゃ解決しない。あれもお前だ」 言われた言葉にびくっと肩が揺れた。 緊張に頬が引きつって、笑おうとしたがそれは失敗した。否定しようとしていた、自分の残虐性を大輔は正面から突きつけてくる。 「どうして俺が死ななかったと思う?」 聞かれて。 だからあのときの行動のままに賢は応える。 「それはあのとき――高石が・・・」 声を上げて、駆けつけたから。だから戒める手を弛めた。 けれどそれを大輔は即座に否定する。 「違うよ」 「何が」 何が違うというのか。 あそこで誰も来なかったら・・・邪魔が入らなければ、賢は確かに大輔のことを絞め殺していたやも知れないのだ。 「違うさ。お前は、出来なかった。俺の首、押さえる指に全然力入ってなかった」 「・・・・・・・・・」 「その気だったら、とっくに俺の首、折れてただろ?」 絞殺の死因は窒息よりむしろ首の骨の骨折。 本気で絞めたならば、息が途絶える前に骨が折られていただろうに。 そうならなかったのは。 「俺・・・お前が、あのとき本気で首を絞めなかったのは、腕の怪我のせいか、それともお前の心がそうしたのかって、考えた」 どっちが本心? どっちが、本当?? 「けど、要塞の中で優しさの・・・お前の紋章に触れたとき、お前の心が流れ込んできたんだ」 「僕の・・・心」 大輔は頷いて、人差し指をぴたりと賢の胸の前に指し示す。 「あのとき、お前はカイザーとして俺達に立ちはだかっていた。けれど、"そのカイザー"から、"お前"の心を、感じたんだぜ?」 あのとき感じた気持ちに、間違いはない。 大輔には確信があった。 信じるように見据える彼の瞳は、だからこそこんなにも強い。 「言い方が違ったか・・・カイザーからじゃない。"あれもお前"だから、お前の気持ちが流れてきたんだ」 「あれも僕・・・」 犯した罪は受け入れていた。 カイザーがやったことは、自分に責任があると。 けれど、それは「闇の力に敗北した」がための、負い。 カイザーの行い自体は闇に囁かれての行動と、心の中で思っていた。そう考えたかった自分がいた。 「もちろん、願望を歪みに変えた力はあったと思う。けど・・・全部が嘘って、思うな?最初の望みは、一条寺・・・お前が生んだんだ」 歪んでしまった願いを、全て嘘と消してしまわないで。 最初の願いは大切なものだったはずだから――。 (ああ、そうだった) 願っていた。 兄を失い、家族の気持ちは離れ。 自分を見て。 誰か、みとめて。 兄のように優れた自分になれたら、みんなは認めてくれるのか。 兄に近づけば、兄は還ってくるのか。 全ての願いは強く響いて。 そして―――闇に、魅入られた。 (そこで負けてしまった。けど、そう・・・始まりは僕の中にあった) 大輔の命をその手で奪おうとしたのも。彼を欲しがった心があったことは確か。それが増長してあのような衝動に出てしまったのはきっと闇の力が働いたに違いなかったが。 (その心自体まで、否定してはいけないんだ) 見失ってはいけない、大切な部分がある。 だからこそ大輔は「逃げるな」と賢を叱ったのだ。 「否定するなよ、自分を。お前がしたことは、すぐには解決しないことがいっぱいある。けれど、俺・・・たちが、ついてるから」 変わらない瞳。 初めから、彼はずっと「賢」を見つめてきた。 一条寺賢という、少年のことを。 カイザーの姿でも、天才少年の姿でも。そのいずれでもなく本質を見てきたのだ。それをあの時だって感じたはずなのに。 信じ切れなくて手を振り払ったのは、いつも賢の方だった。 「俺は全部わかって。それでもお前のこと信じたい」 「・・・・・・うん」 嬉しかった。 大輔は、いままでの全ての自分を見てきて、それでも「信じたい」という道を示してくれた。 「ありがとう、本宮、ありがとう・・・」 望んでいた、自分だけを見つめてくれる瞳。 それがいまはこんなにも近くにある。 「ありがとう・・・本宮」 そっと賢の手は大輔の頬を撫で。そして、吐息が段々と近づいていく。 大輔は動かずに、けれど静かに目を細めて微笑んでいた。 「大好きだよ」 息がかかるくらいの近くで、賢は囁いた。 聞こえたに違いないその相手は、けれど拒むそぶりもみせなくて。 ただ、触れ合うその瞬間に互いの唇の間に消えそうな声で。 「俺も・・・ずっと前からだ」 そんな言葉が、漏れたような気がした。 遠くから、声がする。 自分たちを呼ぶ声。 大輔を・・・そして、賢を、心配して探す声。 (戦い、終わったんだ) 心配していた戦闘は無事に決着がついたようだ。ここへ探しに来たと言うことは、こちらがわの勝利で収まったのだろう。 膝の上で小さな寝息をたてて眠る大輔の額にかかった前髪を払ってやりながら。 (この状況・・・見られたら、本宮は嫌がるかな) きっと男の恥だー!とか言ってわめくかも知れない。 そう思ったが、いまは起こしたくなかった。 疲れのために窶れていた表情はもう見られない。あとは不足していた睡眠を取り戻すように体を休めるだけだ。 安心しきって目を閉じている大輔に、賢は笑みを零しながら。 (ずっと、側にいるから) 以前には、交わすことが出来なかった約束を、今度こそと心の中で誓ったのだった。 これからは、その手を取って。 キミの隣で戦える僕になる。 End. back◆next ここまでおつきあい下さり、ありがとうございました。何とか賢大シリーズ完結です。 始め、カイザーだった賢ちゃんをどうやって救済しようかってテーマから書き始めたシリーズだったのですが、アニメではあれよあれよと言ってる間に「実はカイザーって、操られてただけで実は賢ちゃんってこんな人」って突きつけられてしまい、「何ぃーーーーっ!!?」と叫んでたりもありました(笑) けどやっぱり賢ちゃんにはカイザーであってほしい。あれも賢ちゃんの一部だと認めて欲しい。 そんな希望も篭ってたりします。 |